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百舌鳥古市古墳群を巡るその2『ニサンザイ古墳』

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今回は百舌鳥・古市古墳群の一つ『ニサンザイ古墳』のご紹介です。
東西485m、南北490mと古墳業界でもかなりの大物

古墳業界ってあるの?

周りはすべからく住宅街、そして公園に隣接するこの古墳は一周散歩するだけでも結構な見ごたえがあります。では、今回はそんなニサンザイ古墳へ一礼。

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古墳概要

ニサンザイ古墳があるのは、大阪府堺市。正式名『土師ニサンザイ古墳(はぜにさんざいこふん)』と言って、墳丘長290m、墳丘長というのは墳丘の長さ

ホンマ説明ヘタやな☆

古墳の長い方の長さを指す言葉で、それを以てその古墳の大きさを比較したりします。
この古墳は前方後円墳という『古墳』と聞いて一番頭に浮かびやすいあの独特な鍵型古墳ですが、この場合、方墳の端っこから、円墳の端っこまでの長さを指してこれが290mありますよ、というのが墳丘長290mと言う意味です。
その上で、このニサンザイ古墳は発掘の過程で、当初の裾部分は更に両端5m程度長かっただろうと推察されており、この前提に建てば墳丘長は300m以上、そうなれば日本全国で第7位(原寸であれば第8位)、いずれにせよ太古のロマンを存分に感じられる広大な古墳と言えます。
被葬者は定かではないものの、宮内庁によると反正天皇の空墓とされています。

天皇陵の治定はその殆どが江戸~明治にかけて。明確な物証などがない中で定められたものが殆どで、しかも宮内庁が『天皇陵』と指定している古墳は一般立ち入りは厳しく制限されていて検証が出来ず、それは考古学者さん達も例外でない為、中々調査が進まないというもどかしい状況が続いているのが現状なんだとか

この手のニュースで最近衝撃的だったのは何といっても仁徳天皇陵=仁徳天皇のお墓ではないんじゃ?説ですね。歴史と言うのは年月を経て変わるものというのを見事体現した話ですが、かなり衝撃的なニュースでした。

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ここに限らずなんですが、大阪の古墳と言うのは大体が街の住宅街のど真ん中にあって、周りの住民の扱い方はほぼ公園と変わりありません。皆お墓の周りというと住むのを敬遠しがちなんですが、古墳の周りであれば全く気にしないようで不思議っちゃ不思議なんですが、理由としては古すぎてお墓と言う感じがしない、墓と言うより見た目森の為、怖さがないなど推察されます。

周りの公園も地元の人たちにとっては憩いの場になっているようで、沢山の人で賑わっています☆

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一周散策

今回は車で訪問だったので、方墳部北西にある仁山田公園から出発。北側は遊歩道として整備されていて、古墳をじっくりと眺めることが出来る他、花壇も整備されていて遊歩道としてウォーキングを楽しむ人も結構います。

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方墳の角の部分(北西側)。

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西側は御陵山公園というそのまんまな名前の公園があって、子供たちの憩の場になっています。あと、カキツバタの群生(池?)も見られてとても綺麗。

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もう一個の方墳角(南西側)。

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古墳の堀と言っても、扱いは池、又は沼なのでめっぽう色んな生物と出くわします。
突然跳ねた謎の生物。(多分ただの亀)。

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南側は途中からお堀に隣接する住宅もあるようで、一旦古墳から離れることになります。再び古墳に近づけるのは東側の墓地。墓地の背景に古墳なんていうシュールな一枚も撮ろうと思えば撮れましたが、需要もないし罰当たりなのでやめておきました。

悪趣味極まりない発想ですね☆ 

東側の円墳部分。

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この古墳独特な点でいえば、古墳へ渡る橋が掛けられている事が挙げられます。
現在かかっている木橋はそれほどの規模ではありませんが、古墳が作られた当時かかっていた橋は橋脚の跡などから幅12m、長さ45mほどの古墳の中でも最大級のものだったとされていて、それは埋葬用に掛けられた一時的なもので、用事が済めばすぐ撤去されたとされているんだとか。

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今かかっているのは幅1m程の小さなものです。
柵に覆われていて渡る事は叶いませんが、池の面に拡がる謎の波紋(特に何かが良そうな気配はないのに)といい、不思議な雰囲気の漂う一帯。

北東部からとったパノラマ。こうやってみるとスケールの大きさを見て取っていただけるものと思います。

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反正天皇(はんぜいてんのう)

このニサンザイ古墳は反正天皇の空墓とされています。第16代とされる仁徳天皇の第3皇子で、18代天皇。
容姿端麗で、特に生まれながらにして歯並びに定評があったらしく、瑞歯別の異名を持っています。身長9勺2寸約3m、大体『進撃の巨人』小型サイズくらいですね

冷静に解説されても。。

この時代の天皇の伝承ってこういうの多いので慣れました。
この反正天皇は仁徳天皇の崩御後、即位した履中天皇が在位約5年で崩御した後、即位する事になります。この在位の際には特に大きな事件などが起こる事もなくその即位から5年を経て反正天皇も崩御。この反正天皇、実在したことは確かとされているものの、伝承される容姿などでもわかる通り、かなり個性的な容姿だったとされていて、はっきり言うとどんな人物かいまいちわかっていないのが現状です。

戦国武将とかと違って、肖像画なども残っていないので、姿かたちなどは全て文書、口伝によるものに拠らざるを得ないという事がその理由ですね☆

アクセス

  • 住 所:〒591-8033 大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁
  • 駐車場:なし

南海高野線『中百舌鳥駅』徒歩23分。徒歩ではちょっと辛いので、レンタサイクルなどを使うと、他の古墳巡りに際しても便利。

まとめ

今回はこれで以上です。
このニサンザイ古墳は、百舌鳥・古市古墳群の南東端にあって、古墳巡りをする上ではスタート、またはゴールになる位置にあります。一方で、最寄駅から少し遠いので電車・徒歩でのアクセスがイマイチではあるんですが、古墳自体は周りの遮蔽物も少ないので、外周一周を思う存分巡ることが出来る結構珍しい場所でもあるので、外せないスポットでもあります、頑張って巡ってみて下さい。

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