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百舌鳥・古市古墳群を巡る1『仲哀天皇陵古墳』

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今回は藤井寺市にある陵墓『仲哀天皇陵古墳』です。
大阪府堺市・藤井寺市に点在する古墳群の一つで、今大阪はこの一帯に点在する古墳を世界遺産登録しようと頑張っています。
今回はその中の一つ、仲哀天皇陵古墳に一礼。

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古墳概要

この仲哀天皇陵古墳は岡ミサンザイ古墳と呼ぶそうです。仲哀天皇の陵墓やし間違いではないんですが、どうもこの仲哀天皇の陵墓であるという事、また仲哀天皇の実在自体が確証がないらしく、そこら辺が表記の揺らぎの原因なのかもしれません。
※今回は便宜上『仲哀天皇陵』で統一して表記します。

規模

仲哀天皇陵は古墳独特の鍵型『前方後円墳』で、その大きさは墳丘長は245m。墳丘長縦横の長い方の長さです。要は鍵型の縦の長さですね。一番高いところで20m。

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全国で第16位に列されるこの古墳は5世紀頃の建造と推定され、現在は宮内庁から仲哀天皇の陵墓と指定されている古墳です。
この仲哀天皇は実在性について疑問視されているのも確かで、異説として第21代雄略天皇の陵墓とする説もあります。

仲哀天皇

第14代天皇で、日本武尊(ヤマトタケル)の第2子で、母は垂仁天皇の皇女・両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)。日本書紀によると容姿端麗で身長は一丈(約3m)。もうちっちゃい進撃の巨人クラスのあまり現実味を帯びない伝承がいまいち信ぴょう性を疑われる要因かもしれません。

3mというと、今の建物の2階くらいなので、ちょっと現実味が感じられないのも確かですね☆

第13代成務天皇に跡取りがいなかった為、甥っ子やったこの仲哀天皇に白羽の矢立ちます。齢31で正式に皇太子殿下と定められます。
その13年後政務天皇崩御を受け第14代天皇として即位。
即位後は主に内政より合戦の方で名前が残っているようで、特に熊襲(くまそ)という九州南部に位置する反大和勢力の討伐について遠征した記録は残っています。
熊襲討伐の折、託宣によって『不毛な熊襲攻めはやめて新羅いけや』とお告げを受けるもこれを無視。理由は『この神様偽物ちゃうの?』と疑ったから。
仲哀天皇にしてみれば、自分の即位前にも歴代天皇が色んな神様をお祀りしてきたのに、この神様は知らないというのが仲哀天皇の言い分だったとか。

うがった見方をすればこの神様の声は『反戦派』の声にも聞こえてきます。仲哀天皇もそういった派閥との権力争いもあったのかもしれませんね☆

神様側も引かず、今のまま攻めても勝てんよ?とまで言われたんですが、仲哀天皇は再度無視。結果、熊襲攻めは空しく敗走する事になります。その翌年2月に仲哀天皇は崩御、これは神の怒りに触れたためとする説や、戦中熊襲の矢が当たり、戦によって没したとも諸説あります。

周辺散策

南に方型、北に円型がある古墳で拝所は南側に位置します。

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墳丘をぐるりと囲むように、周濠(周りのお堀)が、禁足地の様相を呈しています。

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北側の円墳部は住宅に隣接している為、傍を歩いたり、外周から見て取る事は出来ませんが、西・南・東側から存分に全体の3/4くらいは歩いてじっくりと観察する事が可能です。南側の一面を除き、高い柵がなされているので間から覗く形にはなりますが。

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南側には拝所があり、宮内庁の文字と共に仲哀天皇の名前が確かに記載されています。

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鍵型と言われてもゆうに30分はかかる外周巡りでは鍵型なのか何型なのかドローンでもなければ、見て取る事は出来ません。(勿論禁止です。)
唯一地形をうかがい知ることが出来る地点がこの南側。

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このくぼんでいる部分が丁度円と方の継ぎ目にあたります。
約1600年の歴史を持つ史跡だけあって、豊かな動物資源が見られるのも魅力。

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鉢塚古墳

この大きな古墳の北側に寄り添うようにしてもう一つ古墳があります。
鉢塚古墳といって、仲哀天皇陵の陪塚とされる場所です。

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天王山に毛の生えた程度の大きさのこの古墳は外周部から見ても小高い丘程度にしか見えず、仲哀天皇陵といえば、ジャイ〇ンリサイタル会場と言われても納得できそうなくらいこじんまりとしています。

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アクセス

  • 住 所:〒583-0024 大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
  • 駐車場:なし。

近鉄南大阪線『藤井寺』駅徒歩12分。
駐車場はあるはずなんですが、僕が訪問した際は閉鎖されていました。

まとめ

今回はこれで以上です。
古墳は言ってみれば、歴代天皇のお墓。軽々しく散歩と言うのもどうかと思う一方で、少なく見積もっても1500年は下らない間そこに在り続けたその陵墓は既に自然公園と言ってもいいほどの自然が育まれていて、四季折々綺麗な姿を見せてくれるんだとか。

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藤井寺市HPより

今回この陵墓の自然を愛でながら太古のロマンに触れ、ゆっくりとその外周部を散歩してみたんですが、非常に贅沢な時間が過ごせました、目の前にあるものが1600年前から変わらぬ姿をとどめていると言われてもピンとこないんですが、非常に貴重な経験になろうかと思います。

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