今回は三重県伊賀市にある伊賀上野城のご紹介です。
ハラキリ、テンプラの次に知名度・人気ともに高い忍者が有名な伊賀市。そこら辺伊賀市側も自覚があって、うどん県の如く『忍者市』を名乗り、『伊賀市=忍者の町』を自他ともに定着させつつある街です。
町を走る鉄道には初めて見たらぎょっとするだろう忍者の顔面が描かれた忍者列車(仮称)が走る正に忍者一色の町です。では、今回はそんな忍者の町一番に高い建物『伊賀上野城』へ一礼。
城概要
このお城が築かれたのは1585年。大和国から国替えとなって、この伊賀の領主となった『筒井定次』によって築城されました。北側を城下町として東向きに天守を築き、この時は大阪守護の形をとっていました。
その後、1608年宇和島から国替えで伊賀に移ってきた藤堂高虎は築城の名手の異名を持つ武将。
1611年この伊賀城の改築に着手した高虎に与えられた使命は、『対大阪方基地』としての伊賀上野城の改築・築城。
そこで、西側に城郭を拡張し、高さ30mというよく分からない高さの石垣を張り巡らせ、南に大手門を構え、城下町を今の南側に持ってきました。
わずか50年の間に築城されたり、町の中心地が城の北側から真反対の南側に移されたりと、当時の住民にしてみればほんまにせわしない数十年だったと思いますが、伊賀上野城は見事当時の最新技術の粋を尽くした軍事要塞として誕生。
ただ、天守は1612年にこの地を襲った大暴風でぽぽぽぽーんと吹き飛んでしまいます。
その後、徳川最大の難敵豊臣家滅亡と共に徳川家による天下統一が成立、徳川家は極端に家臣の諸大名が武装するのを嫌い、様々な制約を設けます。
その中に天守は新たに造らない事という条項があった為、結局これだけ立派なお城の上に天守がないという、立派なのか間抜けなんだかよく分からない伊賀上野城が完成したという訳です。
その後、時代は流れて昭和10年、当時ここの代議士『川崎克』の呼びかけに応じた多くの支援を以て、3年の歳月を掛けて天守閣が復活します。他の例に漏れず現在は歴史博物館と共に、この地のランドマークとして地元の人にも最近は海外の人にも親しまれているようです。
お城を散策
城の全体図です。公園として整備されていて、敷地内には天守など城の設備の他、芭蕉翁記念館や、伊賀流忍者博物館なども併設されています。
高石垣
このお城の中で一番の見どころはやはりこの高石垣。
対大阪先鋒と、関東へ続く街道上の警備・要衝として重要な拠点とされた伊賀上野城、その石垣の高さは30m。大体7,8階建てに相当する高さが石垣だけで構成された城は稀。下から見上げる姿も迫力がありますが、この石垣は落ちる寸前の縁に立つことが出来、そこからお堀を見下ろすと少しめまいがします。
間違っても縁に立ってる人を『え~い☆』とかカップルがじゃれ合う様に押したりするのはやめましょう。
そもそも縁に近づくなって書いてあるねんけどね☆
天守
手前の公園は桜の名所としても有名で、春には天守と桜というショットも撮ることが出来ます。
敷地内中央にある天守、唯一の有料エリアですが、ここに入らないと公園へ散歩に来たのと変わらなくなってしまいます。
小天守と大天守が二つ並び立っているこのお城ですが、中を登ることが出来るのは大天守のみ。天守内は3階建てになっていて、中は城にまつわる展示がなされており、最上階の3階は展望台になっていて、東西南北の城下町を一望。
展示には、築城主の藤堂高虎の肖像や、鎧兜など割と惜しげもなく色々なものが所せましと展示されているので、見応えは十分の場所です。
芭蕉翁記念館
園内東側にあるのが、松尾芭蕉の所縁の博物館、『芭蕉翁記念館』です。
松尾芭蕉の出身はこの伊賀市、俳聖として名が知られる芭蕉の作品が多く展示されている貴重な資料館です。
伊賀忍者博物館
伊賀と言えば忍者、という事で園北側には伊賀忍者博物館があります。
いわゆる忍者屋敷ってやつです。屋敷の中にはどんでん返しや隠し階段などテレビや、アニメで見るような仕掛けが随所に。小学生辺りにドストライクな場所です。
一日数回、恐らく週末のみですが忍者ショーもあり。
アクセス
- 住 所:〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内106
- 駐車場:あり。(有料)
伊賀鉄道『上野市駅』徒歩10分。園内駐車場多数、ただ観光客も多い。近隣駐車場も多数あるので、そちらも視野に。
まとめ
今回はこれで以上です。
お城観光って趣味の世界なので、中々賛同してもらえません。お城は荘厳ですが遊び場を求める子供にとっては、少し物足りないようです。
その点この伊賀上野城は、忍者博物館で忍者屋敷を、忍者ショーを、と思う存分忍者を堪能する事が出来ます。城も勿論見事なので一度見に行ってみて下さい。