今回は奈良にある『宝来山古墳』のご紹介です。
関西の古墳と言うと、百舌鳥・古市古墳群に目が行きがちです、何てったってあちらには古墳日本一の『仁徳天皇陵古墳(大山古墳)』がありますので。
『何てったって』って口に出す人久々に聞いたわ☆
本編に関係ないツッコミはご遠慮願います。
ですが、古墳時代と呼ばれる4世紀~5世紀の政治の中心は奈良。当然奈良にも、というか当時の政・財の中心地だった奈良だからこそ魅力的な古墳がいっぱい、今回の宝来山古墳もその一つです、では今回はそんな奈良の蓬莱山古墳に一礼。
古墳概要
大きさとか
この古墳は奈良県奈良市にあります。『古墳と言えば』一番お馴染み形状の前方後円墳。4世紀後半頃に建造されたとされ、墳丘長227m、幅123m。被葬者は学術上断定されている訳ではないものの、宮内庁によると第11代天皇にあたる『垂仁天皇』の陵墓とされています。昔は火葬はないものの、名札は勿論、故人を特定するものを一緒に埋葬する習慣とかがなかった為、後の文献とかを元に制定しているのでよくよく研究が進んでいくと『間違っちゃった、てへ☆』的なお話も稀にあるみたいです。
おっちゃんの気持ち悪いてへぺろ☆はどうでも良いとして、神社ならまだ文献も残っているものの、そういった現地に残るはっきりした記録がないのでどうしても推定の域を出ないんだとか。
なので、垂仁天皇陵でない可能性もまだ残されているものの、素人の僕がそこにあーだこーだ言っても結論は出ないので『ここは垂仁天皇陵の古墳です。』という事で話を進めます。
垂仁天皇
第11代の天皇とされる人物です。先代の父帝にあたる崇神天皇の第3皇子で、24歳で立太子(皇太子になる事)となります。その後、崇神天皇の崩御翌年1月2日に天皇として即位、ここら辺の記述は割とあいまいなので細かい事はわかりませんが、崩御した年は140歳と現代でもギネス記録に載れるくらいの超高齢やったとされています。
この頃の政権は割と内紛が絶えなかったらしく、この垂仁天皇も即位後、暗殺されかけます。その刺客として差し向けられたのはその妻『狭穂姫』。兄である狭穂彦は
兄のわしと夫の天皇、どっちとるんや?
と言う何ともクズっぷり全開のセリフで妹を味方につけた狭穂彦は狭穂姫に短刀を持たせ、暗殺を企てるものの、すんでのところで思いとどまった狭穂姫は垂仁天皇に全てを打ち明けます。天皇は当然、狭穂彦討伐に向かいますが、夫と兄の板挟みにあった狭穂姫は兄を見捨てることもできず、狭穂彦の立てこもる稲城へ皇子である誉津別命と一緒に中へ。天皇は狭穂姫を助けようと試みますがうまくいかず。やむなく城へ火を放つと中から狭穂姫が飛び出してきます。ただ、狭穂姫は皇子だけを天皇の元に残して火の中へ、兄と共に最後を遂げるというどっちかというと狭穂姫が気の毒と言うエピソードがあります。
一周散策
電車で行くにせよ車で行くにせよ、この古墳は北側からアプローチする事になろうかと思います。墳丘も220mとかなり大きいんですが、外溝が大きいのもこの古墳の特徴で、その濠の長さも含めると実に330m、かなり見ごたえのある古墳です。
濠は周りに掘られた池の様なものなので、どうしても汚い濁っているのが常なんですが、ここの濠は周りの田んぼと、それに川と隣接している為か結構水が綺麗。
周囲一帯は遊歩道として整備されていて散策にはもってこいです。
北側は間近から丘陵を眺めることが出来るんですが、西側は隣接する住宅に阻まれて近くで見ることが出来ません。再び近づけるようになるのはこの西側に隣接する皇大神社の辺り位から。
西から南にかけては田んぼが広がります。農作業中のおっちゃんがいたので、断ってあぜ道を通行。レンゲの色づきが何ともいえず綺麗。
曲がりくねる道を経て辿り着く南側の拝所。水が綺麗なせいか緑も鮮やか。
濠の中にぽこっと浮かぶ島のようなもの。これは田道間守の墓と言われています。
田道間守は常世の国に遣わされた遣隋使・遣唐使のような方で、垂仁天皇の命によりお菓子(橘=今のみかん)を持ち帰った事から『お菓子の祖』としてお菓子の神様として信仰を集める方でもあります。
橘というのは非時香菓(ときじくのかくのみ)と言って昔は不老不死の果実とされていて、田道間守は見事持って帰るんですが、その時既に当の垂仁天皇は崩御した後。
その悲しみから田道間守は嘆き悲しみ、この天皇陵の脇でなくなったとされています。
アクセス
- 住 所:〒630-8023 奈良県奈良市尼辻西町11
- 駐車場:なし
近鉄橿原線『尼ヶ辻』駅徒歩3分。専用駐車場はありませんが、北側を周辺にちょこちょことコインパーキングがあります
まとめ
今回はこれで以上です。
この古墳の周辺には飛び地と言って、小さな古墳とされるものも多く点在していて一日かけてもじっくり回れば足りない位、古墳マニア必見の場所です。
この界隈は、唐招提寺という超有名な観光スポットがあるので、どうしてもこの古墳まで足が向かない方も多いかもしれませんが、結構立派な古墳です、是非お立ち寄りください。