今回は奈良有数の観光スポット『東大寺』のご紹介です。
奈良県は日本太古の大和政権下における中枢機能があった場所として、東西南北どこに歩いても国宝・文化遺産級の建造物などが随所で見受けられる日本でも有数の観光地やのに、宿泊してくれる人が少ないと日々嘆いている謎の観光都市です。
その中でも奈良県奈良市にある奈良公園は歩けば鹿、鹿、鹿そして鹿の糞と鹿尽くしの一日が送れる事と共に、広大な敷地のどこを歩いても国宝にぶち当たるという観光名所尽くしの場所としても有名で、大体奈良全体の半分くらいの魅力が詰まった一大テーマパークと言えるスポットです。
東大寺はそんな奈良公園の丁度真ん中あたりに位置する東大寺の〇〇の〇〇部分に『大仏』と入れたくなるほど大仏とワンセットで語られることの多い場所です。
では、今回はそんな大仏さんで有名な東大寺に一礼。
寺院概要
東大寺は奈良県奈良市奈良公園内にある大乗仏教華厳宗の大本山の寺院です。
建立された奈良時代には、現存する正面の大仏殿の他、東西に二つの七重塔を含む大伽藍が建造されていたんだとか。その高さは70m程もあったという事なので、もはやスケールのでかさが規格外な事だけ何となく伝われば幸いです。
東大寺の建立は8世紀前半とされています。建立当初はこの場所ではなく、少し東方に位置する若草山に当時は金鐘寺と言う名前で、聖武天皇が若くして亡くなった皇子の菩提として建立した菩提寺としての建立が起源とされています。
東大寺を今も代表する大仏の建立は747年、聖武天皇の詔により開始されます。工事は難航し実に5年間、大仏のいわば落成式にあたる開眼会が挙行されたのは752年とされています。変わっているのか、そんなものなのかスケールが大きすぎてよくわからないですが、大仏が建立された後に大仏殿が建造にあたられ、竣工は758年当初の計画から実に10年かかって建てられた建物という事になります。
この壮大な工事計画の中、建てられた立派な東大寺ですが、建立当初はあまりよく思われていなかったそうです。
一言でいえばスケールでかすぎ。今でいう公共工事にあたるこのお寺の建立は現代でいうハコ物建設のようなもので、建造には現代と違い、労働力として狩りだされるのは農民。それが10年も役務提供させられるわけですから内心たまったもんじゃありません。寺院関係者は富潤う一方で、農民や庶民の間では餓死者が続出、当時の租税制度だった租・庸・調などの制度も崩壊寸前にまで追いやられる事となったんだとか。
ご利用は計画的に
そんな声が聞こえてきそうですが、事実、聖武天皇の崩御後、橘奈良麻呂と言う人が反乱を起こした際、鎮圧後の橘さんの言い分としては、こんなお寺作ってる暇あったら庶民を救えと唱えたそうです、もっともなお話ですね。
何十年計画での建立と言うのは未来の私たちにとっては素晴らしい贈り物ですが、作った側の人たちにとっては明日を生きる当時の人には圧政以外、何ものでもなかったという事なのかもしれません。
このお寺、大仏殿の建立だけでも10年かかっている訳ですが、実際には南大門・中門、大仏殿のほか、講堂が南北1直線に伸び、講堂の北には僧房、また今と一番違う点が東西2柱の約70mとされる七重塔まであったそうで、これらが一通り建つまでは実に約40年もの月日を要したとされています。そんな立派な東大寺ですが、所詮は木。ノートルダム大聖堂でも燃えたように、二回焼け落ちているそうです。
一度目は1181年平氏による南部焼討、二度目は1567年三好・松永の戦いによって完全に焼け落ちてしまったんだそうです。その都度、時の権力者によって再建されたものの、さすがに70mの塔を再建するのは大変やったらしく、今の大仏殿のみと言うスタイルが今に残る事となったようです。
境内散策
境内はだだっ広くて建造物はどれも背が高く、上ばっかり見上げてしまいそうになりますが、それを囲む奈良公園はさらにでかいです。
大仏殿を含む本堂・二月堂・三月堂が東へ順に並んでいて、拝観料はそれぞれ必要なので、全部回ろうとすると結構値段が張りますので注意です。
大仏様
正面最奥にあるのが金堂(大仏殿)です。外観も立派ですが、中身も立派、奈良の東大寺と聞けば多くの人が想像されるのも、多分この大仏殿でしょう。
ご本尊は、奈良の大仏様こと、廬舎那仏(るしゃなぶつ)。高さ14.7mの銅造りで、この大きさだけでも一見の価値ありと言ったところでしょうか。
木造如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像
大仏様の左右に鎮座する2体です。
他にも多聞天と広目天の2体が鎮座している正に仏像パラダイスとでも呼ぶべき堂内です。
柱抜け
大仏様と共にこの東大寺で超人気なのが柱抜け、または柱くぐりなんて言ったります。
柱抜けって何やねん?!
と言う人は多いんでしょうか、少ないんでしょうかと言う位有名で、修学旅行奈良やったという人の二人に一人くらいはくぐってるんじゃないでしょうか。
有名な割に教えてもらうまで忘れてたけどな☆
2月堂、3月堂書くところまでたどり着けなかったショックが大きくて。。Old高松さんありがとうございます。
さて、この柱抜けですが、場所はまず大仏殿向かって右奥、多聞天さんの脇辺りにある遠目から見るとなんでもない柱なんですが、近づけばただの柱じゃない事がよく分かる人の山が出来ています。
で、その抜ける柱の穴と言うのがこれ。皆これをくぐる為に並んだり、並ぶ人を見たりで、人だかりができるという訳です。
重要なのはこの大きさ、大仏様の鼻の穴と同じサイズ。
わかるかああああああああああ!!
と、言いたくなる気持ちもわかりますが、そこはこの距離なので信じる他ありません、この距離ですからね。
この柱をくぐり抜けると一番言われるのが無病息災、他にも招福や学業にもご利益があるとされています。
元々の意味合いは鬼門除け、大仏殿の北東守護に多聞天さんが鎮座していらっしゃるんですが、邪気を逃がすために門を設けたりするんですが、元々の興りはそっちのお話やったんやとか。邪気と一緒に悪いものが祓われるという事で、無病息災のご利益があるとされている訳ですね。
中にはスカートのまま柱くぐりに挑戦する強者などもいて、目のやり場に困ったりもするんですが、結構見ているだけでも楽しい場所です。
私はとある事情により不参加。
とある腹部の事情により、やろ?
現在、絶賛肉体改造中につき、過程での無理な挑戦は避ける事にしています。
御朱印
御朱印は大仏殿内向かって右側にある朱印所にていただけます。一般にこのお寺は正面の大仏様を見回す様に時計回りに巡る事となるので、見終わった最後に頂く形と言うのが自然な流れと言ったところでしょうか。
賓頭盧尊者像
東大寺金堂入口右に何だか人だかりができているのがわかると思います、賓頭盧尊者像が鎮座しているからです。
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)というのはお釈迦様のお弟子の一人で、才能に満ち溢れていたがゆえに、その才に驕り、ついにお師匠様のお釈迦様にも叱責を受けるほどだったんだとか。その関係かどうかは不明ですが、他の像が堂内に安置されているのに対し、この像だけ雨ざらし。でも、この賓頭盧尊者像は自分の悪い所と一緒に撫でる事で、その悪い所が治ってしまうという病気平癒の御力をもつ像なんだとか。
2月堂・3月堂は後日また別途アップします。
今回テーマが大きすぎるので、2月堂・3月堂は別でアップします。決して逃げたわけではありません。
。。。無様ね。
アクセス
- 住 所:〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1
- 駐車場:なし
奈良県奈良市奈良公園内。駐車場は東西南北どこにでも多数ありますがどこも高いです、全部回るなら話は別ですが、優先的に回りたい場所があるなら近い場所を狙って駐車するか、週末はそもそもコインパーキングに空きがないので、いっその事平城山駅辺りに止めた方が確実に止めることが出来るので、訪問日によるしっかりとしたプランニングが大切。
まとめ
今回はこれで以上です、というかその内2月堂、3月堂分はアップします。
奈良の楽しさの半分くらいはこの奈良公園に詰まっていると言っても過言ではありませんので
言い過ぎや☆
観光客はいっぱいです、それこそワールドワイドに白人・黒人・黄色人のどこの国かわからない人まで多種多様。それだけ色んな人が訪れる奈良公園なので、自分が行きたいところはしっかりと事前にリサーチして、交通手段や歩く経路まで念入りに練っておくことが、奈良観光プラン満了にとって何より大事なこととなります。