今回は和歌山にある根来寺のご紹介です。
岩出市という、和歌山の海岸線から少し山側へ入った辺りにある真言宗の寺院です。
枯山水の庭園は定評があって、その見事に整えられたお庭は真夏でもひと時の涼を届けてくれます、まあ暑いのは暑いんですが
相変わらず風流とは無縁なおっさんやな☆
では、今回は根来寺に一礼。
寺院概要
この寺院があるのは和歌山県岩出市。金剛山から連なる山系の山裾に作った形になっている寺院です。和歌山県の内陸部は北に金剛山、南に高野山・熊野山系がずっと拡がっているので、この和歌山市・岩出市・紀の川市・橋本市を結ぶ横のラインの他は基本的に山しかありません。
言い過ぎや
真義真言宗総本山の寺院にあたり、創建は1140年、空海を開祖とする真言宗でしたが、当時は堕落していたんだとか。時は平安後期、空海以来の優秀な学僧と言われた覚鑁(かくはん)は堕落した現在の真言宗を立て直し、開祖・空海の教義を復興しようとするんですが、保守派の僧たちと対立が激化。覚鑁派の寺院が焼き討ちされるという事件まで勃発します。
保守派と改革派の確執とか対立っていうのはどこでも聞くものですが、お坊さんたちでも例外はないという事ですね☆
焼き討ちされた覚鑁たちは別の場所に自分たちの拠点を設けます、それがこの根来寺の始まりとされています。
その後順調な発展を遂げたこの根来寺を拠点とする集団は最盛期で1万余りにもなったんだとか。僧兵と呼ばれ当時のお坊さんは結構荒っぽい人たちで形成された集団となった坊さんたちは根来衆と呼ばれ、種子島に鉄砲が伝来するとたちまち鉄砲使いになって武装したりするアグレッシブな坊さんたちだったんだそうです。
一番イメージしやすい僧兵と言えば、何と言っても武蔵坊弁慶ですね☆
織田信長とは石山本願寺攻めに加わったりして友好関係を築いていたものの、信長が没した後、豊臣と徳川の水面下の争いが起こる中、こっそり徳川に通じていた根来衆は秀吉から反感を買い、攻め立てれる結果に。この根来寺も焼け残りを数棟残して焼け落ちてしまったんだとか。
江戸時代に入り、伽藍が再建されるなどして現在の形がある訳ですが、最盛期には坊舎450という坊さんばっかりが住むよく分からない街みたいになっていた当時からするとかなりこじんまりした感は否めません。
開基・覚鑁に興教大師という大師号が送られたのも江戸時代に入ってからです。
境内散策
境内は結構広いです。また、お寺なので普通にお墓とかも建っていて、お参りしている人もいるので、邪魔にならないように心がけましょう。
大伝法堂・ご本尊
入口からまっすぐ進むと奥にあるのがこの寺院の御本堂『大伝法堂』があります。
堂内撮影不可なので写真はありませんが、真ん中にご本尊の大日如来、脇仏に金剛薩埵と尊勝仏頂を控えています。焼き討ちにあって再建されたのは江戸時代ながら約3mのご神仏三体が居並ぶ姿は中々に壮観です。
奥の院
根来寺の開祖興教大師・覚鑁さんの御廟です。林と他のお墓に囲まれていてひっそりとしています。
石庭
このお寺の見どころの一つとされるのがこの石庭。光明殿から臨むお庭には、花や紅葉といった華やかさはありませんが、白と緑でまとめ上げられた庭園は季節を選ばず綺麗です。
大塔・大師堂
豊臣秀吉の焼き討ちの戦禍を逃れた数少ない建物です。大塔はこの境内で唯一の国宝に指定されています。
御朱印
御朱印は光明殿の隣にある寺務所で頂けます。
寺務所では興教大師、ご本尊の大日如来のものの二種、そのほか、駐車場横の不動堂では愛染明王のものも頂くことが出来ます。
アクセス
- 住 所:〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286
- 駐車場:あり。
京奈和自動車道和歌山県岩出市内『岩出根来』ICから東へ。
まとめ
今回はこれで以上です。
かいつまんで紹介しましたが、他にも聖天池・聖天堂、九社神社、大門など色々と見所のあるお寺さんです。華やかさを求める場所でもないですが、桜と紅葉の名所でもあるので、季節ごと違う顔を見せるこのお寺はいつ行っても楽しめる場所です。