今回ご紹介するのは京都市にある粟田神社です。
東山の街中にある新選組なんかが駆け抜けていた京都の路地に面したこの神社は、『京都』って感じの雰囲気を醸し出しています。
もう一つ、この神社は『刀剣乱舞』の聖地、摂社『鍛冶神社』がある場所として、ファンの間では既に聖地化している有名な神社なんだとか。
では、今回は京都の雰囲気と刀剣乱舞の世界と両方を楽しめる粟田神社に一礼。
神社概要
この神社は京都の東側、ちょうど平安神宮の南、知恩院の北側に位置するのがこの粟田神社です。『粟田』というのは、『粟田口』と言う名前から来るもので、昔、盆地の京の都に通じる街道の内、主要な7つの街道口が『京の七口』呼ばれていて、粟田口はその一つやった事から来ています。
京の七口というのは東西南北に広がっていて、他の鞍馬口、大原口、荒神口、五条口(伏見口)、竹田口、東寺口(鳥羽口)、長坂口(清蔵口)の6つと合わせた総称です。
御由緒
この神社のご創建は876年、清和天皇の元に『今年災いがあります』とのお告げがありました。そこで天皇は勅を発せられ、全国で国家と民の安全を祈願される事となりました。その勅を受けた一人藤原興世(ふじわらのおきよ)は八坂神社に七日七晩祈願を行っていたところ、7日目の晩、枕元に老翁が立ち『祈願は天に通じている。私を祀れば国家と民は安全となる。』とのお告げを受け、それを受け勅命によりこの地に創建されたのが始まりとされています。
この時夢枕に立ったのが大己貴神(おおなむちのかみ)でこの神社の主祭神の内の一柱です。
ご祭神・ご利益
この神社のご祭神は
主座
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
大己貴神(おおなむちのかみ)
左座
八大王子命(はちだいおおじのみこと)
(八嶋士奴美神・五十猛神・大屋彦神・大屋媛神・抓津媛神・須勢理媛神・大歳神・宇迦之御魂神)
右座
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)
神大市比賣命(カムオオイチヒメノミコト)
佐須良比賣命(サスラヒメノミコト)
ご利益
この神社のご利益は旅行守護。
その他、厄除・病魔退散・縁結び・安産・経営守護が挙げられます。
粟田神社は粟田口として東海道・中山道の入口に面して建っていた為、都からの旅立ち、また都へ戻れた事に因んで、参拝者からお参りをされるようになり、やがて旅の神様として信仰されるようになりました。
境内散策
昔こそ街道とされていたものの、今は京都の町家に囲まれて建っています。
路地を抜けると急に開けたように神社の入口。
鳥居を抜けると石段をが続きます。ここは紅葉の名所としても知られていて、シーズンには参道一帯に所狭しと紅葉が拡がり、参拝客を魅了します。
石段を抜けた先にあるのが拝殿・ご本殿。
ご神紋は三つ巴と木瓜紋。木瓜紋は織田信長の家紋としても有名ですね。
鍛冶神社
この神社は、平時から女性の参拝客が多く見受けられます。理由は『刀剣乱舞』の聖地だから。実際に聖地とされるのは粟田神社自体と言うよりその末社『鍛冶神社』にあります。鍛冶神社は粟田神社鳥居を越えたすぐ左手にあります。
ご祭神は金細工職人達(作金者)製鉄の神の天目一筒神をお祀りする神社で、合わせて稀代の刀工、三条小鍛冶宗近、粟田口藤四郎吉光をお祀りする神社です。
中でも天下五剣に数えられた名刀『三日月宗近』は国宝に指定されています。
刀剣乱舞プレイヤーは『審神者(さにわ)』とされ、その審神者達のとうらぶ愛はこの絵馬に表出。個人の方の情報が載っているものもあったので撮影は控えましたが、そこには刀剣乱舞のイラストが描かれた絵馬がびっしりと奉納。愛が満ち満ちていました。
刀剣乱舞好きな方って皆凄く絵が上手いんです。
御朱印
御朱印は本殿向かい側の社務所で頂けます。御朱印は三種、粟田神社、鍛冶神社、それに書置きのみですが、お向かいにある『合槌稲荷神社』のもの。あと御朱印帳とその朱印帳袋、刀に所縁のある神社を配祀してるだけあって、刀に因んだお守りも数点見受けられました。今回は粟田神社のものを頂きます。
アクセス
- 住 所:〒605-0051 京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1
- 駐車場:なし
電車の場合:京都市営地下鉄東山駅徒歩8分
まとめ
今回はこれで以上です。
粟田口というのは、今は地名のみで街道らしい道は見たところ残ってはいませんが、この近辺は祇園と並んで、一般的に想像する京の街並みというものが残された地区でもあります。祇園は繁華街なので少し騒々しいかもしれません、その点こちらは静かで散策がてら当時に思いを馳せるのにも適した地域です。
北から東から南から名所を挙げればきりがない位拡がっている地域なので、どちらから巡るにしてもご参拝しやすい場所と言えますので、ぜひこの辺りの観光の際には候補の一つとして考えてみて下さい。