今回ご紹介するのは京都市東山区にある『豊国神社(とよくにじんじゃ)』です。
『豊』の字の示す通り、豊臣秀吉をお祭りする神社なんですが、大阪にも同じ字で書き同じく豊臣秀吉をお祀りする神社がありますが、大阪では『豊国神社(ほうこくじんじゃ)』と読みます。
京都豊国神社は大阪の神社と共に豊臣ゆかりの神社の代表格といえます、また刀剣乱舞の人気キャラモチーフ『骨喰藤四郎』が奉納された神社としても最近知名度急上昇中の豊国神社に一礼。
神社概要
縁起
この神社の建立は比較的新しく1599年(といっても400年以上の歴史がある訳ですが)。豊臣秀吉の死去の後、遺命により方広寺の東方に埋葬され、この地に廟所が建立された事に始まります。豊臣秀吉の死は当初世の中の伏せ事とされていた為、死後すぐに着工されたものの、着工過程においては方広寺大仏の鎮守府とされていました。
秀吉は自身の死後、家康が必ず反旗を翻すと考えていたらしいです、正しく予感通りになった訳ですが☆
秀吉の死が知れ渡るとともに、『新八幡社』と呼ばれるようになり、その後朝廷より秀吉に『豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん)』の神号が与えられます。
戦に長けた秀吉に因み武神として祀られた豊国乃大明神が祀られる事となります。
『豊国大明神』の名は創始日本の呼び名である『豊葦原中つ国(とよあしはらなかつくに)』に由来するとされていますけど、本人が『豊臣』なんで、名前ありきの由来は後付けのように見えますよね☆
その後、関ケ原、大坂の陣を経て豊臣家の滅亡します、この時の開戦のきっかけとなったのが、この神社の北に位置する方広寺に建立された梵鐘の文字。あの有名な『国家安康』、家康の文字を割き、呪ったというほぼ言いがかりの様な一件ですが、それがこのお寺で起きた出来事でした。
国家安康と共に『君臣豊楽』と言う言葉も有名ですね、豊臣が君主として栄えるように、という願いを込めているとしたとされています。
いずれにせよ豊臣家としては、呪うなら間違っても仏に奉納するものにそんなアナグラムのような事をしません、祈祷師にでも頼む事でしょう。
むしろ家康の繁栄を願ってのことにも拘らず言いがかりを付け、大阪合戦に持ち込んだ家康には豊臣根絶の執念が感じられます。
この社も当然廃絶の命が下るものの、秀吉の正室北政所の嘆願によって廃絶は免れるものの、再建は一切なされる事もなく放置され荒れ放題となっていました。
再建がなされるようになったのは明治に入ってから。再建を命じたのは明治天皇。海外にも名を轟かせた秀吉の武功を称え、かくして豊国神社は200年の時を経て再興される事となり、この時官弊社として正式に神社となり、今日に至ります。
ご祭神、ご利益
この神社のご祭神は豊国大明神、つまり豊臣秀吉です。ご利益は勿論出世・開運。出世についてはどの程度望めるかはいうまでもないでしょう。一番下からてっぺんを取るまでに出世した人を神として祀る神社です、殊出世を願う神様でこれ以上の方はほかに居ないでしょう。
境内散策
鳥居、神社名の碑、拝殿・本殿とも立派な神社ですが、境内は意外とシンプルな造りをしています。
本殿・ご拝殿
鳥居をくぐり正面に見える大きな楼門、この神社の拝殿・ご本殿です。左わきには秀吉所縁の神社だけあって瓢箪型の絵馬が。数多く吊り下げられた瓢箪は正に千成瓢箪。
御朱印
御朱印は本殿右手の社務所にて。五三桐、そして瓢箪の絵柄が豊臣を思わせます。
またこちらは、人気の神社だけあって御朱印帳も色々と取扱いがあります。
骨喰藤四郎
神社社務所にはもう一つ、骨喰藤四郎に因んだ御朱印なんかも用意されています。
あと、熱心なファンが奉納されたんでしょうか、キャラクターのぬいぐるみやフィギュアなんかも飾られてありました、人気の高さが伺えます。
宝物殿
300円の入館料が別途必要ですが、宝物殿の観覧が可能です。中には奉納された刀剣のレプリカや、瓢箪などの展示が数十点にわたり展示されています。
アクセス
- 住 所:〒605-0931 京都府京都市東山区茶屋町530
- 駐車場:あり(有料)
電車の場合:京阪七条駅徒歩8分。
まとめ
今回はこれで以上です。
今さら僕が解説するまでもなく刀剣乱舞ファンの方には聖地の一つとして親しまれている神社ですが、同時に豊臣秀吉という一般庶民の夢を体現した出世、そしてその剛運に肖りたい方のご参拝にもお勧め。三十三間堂から北へ散策するならぜひ一緒にお参り下さい。