今回ご紹介するのは大阪の丁度中心辺りにある神社、阿部野神社です。
『阿部野』というと、最近特に開発が活発であの日本一高いビル『あべのハルカス』が建てられた地域としても大阪市内有数の繁華街・商業地です。
今回の阿部野神社はあべのハルカスをバックに臨む少し南にある神社ですが、商業地といっても、その中心から少し離れるとこの地域は静かな住宅街。
今回は、そんなひしめくような住宅に抱かれる形で建つ阿部野神社に一礼。
阿部野神社
本殿まで
この神社、大きく二つに分かれていて、まずは阿部野神社にお参りします。
西側の入口です、多分これが正門にあたる場所です。
両脇を住宅地で固める参道を進むと、石段と大きな鳥居が見えてきます。
『幸誘う語らい神馬』何だかよく分からないですが、幸福が訪れそうな言葉が出迎えてくれます。狛犬のポジションにあたるんでしょうかね。
向かって右に回り込む形で阿部野神社境内は広がります。年末年始以外は、正面の門は閉じられているみたいですね。左は後述する旗上稲荷社。
ご本殿、ご祭神は4神。天照大御神、三輪大神、少彦名大神、菅原道真公。
境内散策
境内はこんな感じ。隣の摂社を除いて余計な建物は一切ないのでやけに広く感じます。
北畠頼家公像
この神社には入口が二つあり、さっきの西側とは違う南側の入口をくぐるとすぐにあるのが、この北畠顕家公の像。
公については略記の通りですが、北畠家の活躍は南北朝時代、天皇家をそれぞれに擁立して覇権を争っていた時代、南朝に与した武家です。北畠顕家公も南朝として北朝の足利と正にこの地で戦い、敗れました。この神社はその古戦場に明治になってから、建立されたものです。
↓南北朝武家所縁の神社。
勲之宮
ご本殿の隣に鎮座するのがこの勲之宮です。北畠顕家公はこの阿部野での戦いに挑む際、陸奥守の任に就いていてこの戦いに向け、奥州54郡から精鋭を率いて参戦します。善戦空しく戦いに敗れてしまう訳ですが、この勲之宮には顕家公に従った南部師行初め行軍に参加した諸将が祀られています。
御朱印
御朱印です。
ご紋は所縁の武家、北畠家の笹竜胆が掲げられています。この場合はご神紋というべきか、家紋というべきか。
どっちでもいいんじゃね?(=゚∇゚)
という事を考えながらお守りなんかを物色。この神社と併設された幡上稲荷神社に因むお狐さんが可愛らしいのが印象的でした。
旗本稲荷神社
西側正面を右に回り込めば阿部野神社の境内に出ますが、左側にはこの朱の鳥居群が立ち並びます。
この連なる朱の鳥居は個人的に綺麗で好きなんですが、好みがわかれるところです。お狐さんの印象なのか、朱から来る印象なのか。何せ一度足を踏み入れれば抜け出る事は出来ません。
なんてこともないんですが
まじめにやれ( ‘ ^’c彡☆))Д´)
この鳥居、ちょっとした迷路になっていて、確かにどこをどうやって進めばどこに出るのかがわからないようになってはいます。
鳥居を進む中で、いくつかのお社があります。
土の宮。飾られている蛇が大きく口を開け恐ろしい形相をしています。。。はずなのにどうしてもかわいらしく見えてしまうから不思議。
旗上芸能稲荷社。
旗上稲荷神社。
アクセスその他
- 住 所:〒545-0035 大阪府大阪市阿倍野区北畠3丁目7−20
- 駐車場:あり
電車の場合:阪堺電鉄『天神ノ森』駅から徒歩5分。
車の場合:国道26号線沿い、地下鉄岸里駅付近で東へ、駐車場は南からのみアクセス可能。止める事自体は台数も多いので問題なさそうですが、止める時は順路として南側からアプローチする必要があるので注意。
まとめ
今回はこれで以上です。この神社自体は明治時代建立と比較的新しく、また社殿は戦災で焼け落ちた後に再建されたものなので、歴史はあまりありません。ただ、この場所自体の歴史・信仰は古く、またこの一帯の地名も『北畠』。地名に根付いている事からもこの神社というか北畠という名前が昔からこの地に馴染んでいたのだろうことが伺えます。大阪はこういった地域に根付いた信仰や親しまれた偉人・歴史上の人物に因んだ場所が多いので、巡ってみると面白いかもしれません。