天照大御神、太陽神の異名を持つ日本を代表する神さまです。
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お祀りされている主な神社
- 伊勢神宮内宮(伊勢皇大神宮)
神社といえばという問いに、恐らく大体の人が名前を上げるだろう日本を代表する神社です。伊勢神宮は約2000年前に祟神天皇の頃、創建されたと伝えられていますが正式には『神宮』と呼ばれるのは、この伊勢神宮内宮とその周辺にある125のお社を総称する神社のみを指し、それ以外の天照大御神をお祀りする神社は『伊勢系の神社』と呼ばれ、明確に区別されます。
伊勢系の神社というのはくくりでいうと『神社庁に属する神社』という事になり、全国に8万社もあるとされていて、その中には離れた場所からも伊勢神宮へお参りする事ができる『遙拝所』を置いている場所も多く存在します。
『神宮大麻』というのをいろんな神社でご覧になったことがあるはず。これは伊勢神宮の御札とされていて、どこに住んでいても伊勢神宮の御札をお祀り出来るように神社庁に属する神社ではどこでも授けてもらえ、江戸時代には日本全国どこででもこの神宮大麻をお祭りしていたともされています。
主な神話など
太陽神であり、天皇家の祖先(皇祖神)でもあり、また高天原を統べる主宰神ということで関わりのある神話も多いんですが、ここではその一部をご紹介。
誕生神話
天照大御神は伊邪那岐が伊弉冊を黄泉の国へ連れ戻しに行き、そして断念して帰った際、黄泉の国の穢れを洗い流す中で左目を洗った時に生まれたとされています。
この時右目から生まれたのが月読尊、鼻から素戔嗚命が生まれたとされ、この三柱野神様を総称して三貴子(三貴神)と呼ばれることもあります。
天照大御神は高天原を統べる神様とされていますが、だからといって一番はじめに生まれた神様ということでないところが面白いところですね☆
天岩戸神話
天照大御神を、というより日本に残る神話の中で一番有名と思しき神話の一つです。
兄弟の素戔嗚命は田畑を荒らしたり乱暴を働いたりと他の神様から苦情の出るような、いわゆる厄介者の神様でした。
天照大御神も当初は何か思うところがあるんです!!とかばったりもしていました。
が、素戔嗚命が機織りの建物に皮を剥いだ馬を投げ込むとその中で仕事をしていた女神(稚日女神)がびっくりして持っていた梭(ひ。機織りで横糸を通す道具)が刺さって死んでしまうという事件が発生。天照大御神は天岩戸に籠もってしまうという訳です。
この事件で稚日女神は陰部に梭が刺さり死亡。解説にはよく『びっくりして』なんてふんわりした表現がなされていますが、そういうことなんじゃないかな、とか想像してしまいますね☆
太陽神の異名を取る天照大御神が岩戸に隠れてしまうと高天原も葦原中津国も真っ暗、太陽の恵みがなくなった両世界は様々な災厄に見舞われたとされています。
困った他の神様は天照大御神になんとか出てきてもらおうと岩戸前で宴会を断行。
その雰囲気につられた天照大御神が様子を見ようと岩戸をちょっとだけ開いた隙を狙い、一気に岩戸を開ききってしまい天照大御神を外へ連れ出すことに成功します。
これが天岩戸伝説です。
この時に活躍した神様が
- 天宇受賣命(アメノウズメ):宴会を盛り上げるため、踊りを披露
『踊り』となっていますが、胸を顕にして陰部をさらけ出してという事からかなり過激なものだったのでしょう。
- 天手力男命(アメノタヂカラオノミコト):天岩戸を一気に開いた力持ちの神様
ご利益・ご神徳
- 全ての願いの神様
この神様のご利益・ご神徳はこうなります。太陽神という異名を持つ通り、この神様は神様でありながら同時に陽の光そのもの。
昔から農耕で生活してきた日本で太陽は恵みでもあり、同時になくなってしまうとそれ以上困ることはないというくらい大事なものだったんですね☆
その為、その御利益はというと五穀豊穣であり、富の繁栄であり、健康の源でもあり、と人の生活に深く関わりというより人の生活そのものを司る存在です。
つまり、自分たちの繁栄も衰退も、言ってしまえば自分たちが生きるも死ぬもこの神様のご機嫌一つということ。
太陽というのは事実、人間の営み全てにおいてないと成り立たないというか、なくなったら人類まとめて滅んでしまうのは言うまでもありませんが、昔の人は実感としてわかっていたんだろうことが窺えます。
天岩戸隠れの伝説はその太陽が失われてしまったら、という人々の恐れと逆に太陽神が如何に自分たちにとって欠かせない存在なのかという意識の現れといえるかもしれませんね☆
まとめ
今回はこれで以上です。
天照大御神は伊勢神宮を中心に日本全国どこでもお祀りされている神様の中の神様。
太陽がなくなったら、なんてSFみたいなお話ですが昔の人は本当にそれを恐れ、逆にいつも変わらない恵みに感謝し、ご利益に与っていたという訳です。
何のご利益に与りたいからというよりもどんなご利益もまずこの神様の上に成り立っていると言えるスケールの超でかい神様なので、ご利益に与るというよりも全てのご利益に感謝するというのが捉え方として正しいかもしれません。