今回ご紹介するのは山科にある古墳『天智天皇山科陵』です。
天智天皇と言ってピンとくる人は歴史が好きな人だけかと思いますが、中大兄皇子と言う名前なら誰でも知ってる有名人だとお分かりいただけると思います。教科書でもご存知『大化の改新』です。
そんな歴史の大きな一ページに登場する天皇の陵墓が京都市山科にあります。
では、天智天皇陵に一礼。
概 要
最寄り駅は御陵駅
この古墳があるのは京都市山科区。中心街の河原町や祇園、それに京都駅とは東、山一つ隔てているものの京都駅から一駅という意外と近所にあります。京都には地下鉄が南北、東西に走っていてその内の東西線という路線『御陵駅』と言う駅が最寄り。
京都南部から通う学生たちは大体この路線を使って高校・大学へ通学するのですが、京都薬科大学生を除きこの駅はスルーするので『御陵』ってなんだろう?っていう疑問を抱いています。
でもあんまり自分に関係がないので疑問への答えを求める事がないまま卒業していきますが、正に御陵=天皇のお墓というそのまんまの意味だったんです。
天智天皇
冒頭でも記載した通り、天智天皇=中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)です。第38代天皇で舒明天皇(第34代天皇)の第二皇子。因みに中大兄(なかのおおえ)と言うのは二番目の大兄(大王位継承者)というそのまんまを意味しています。
中大兄皇子最大の見せ場は何と言っても中臣鎌足(後の藤原鎌足)と当時、政権の中心に居た蘇我入鹿を暗殺。クーデターを決行します。
大化の改新というのはその後中大兄皇子が行った改革を指しています。蘇我入鹿暗殺事件は『乙巳の変』と言います☆
↓は奈良にある飛鳥寺で、境内に蘇我入鹿の首塚のある場所。
乙巳の変があったのは645年ですが、即位したのは668年~672年の4年のみ。それまでは異母弟にあたる孝徳天皇(第36代天皇)に即位させ、自分は皇太子として様々な改革を勤しんでいました。これが大化の改新です。
様々に斬新なアイデアが盛り込まれた改革ですが、日本初めての律令(法律)と言われる『大宝律令』制定が有名ですね☆
古墳概要
7世紀末~8世紀の建造とされていて、正式名御廟野古墳(ごびょうのこふん)。上円下方墳という形状、菱餅の上に鏡モチ置いたようなと言えばわかるでしょうか。
かえってわからなくなるのでやめようか☆
知名度と言うか、観察と言う意味では明治天皇伏見桃山陵が同じ形状をしているので気になる方はこちらをチェック。
大きさは円墳部46m、方墳部70m、高さ8mとそこそこと言ったところですが、木々に囲まれていて墳丘は見えません。古墳あるあるですね。
陵墓散策
入口付近
正面の参道は京都東西にまたがる三条通沿いに堂々と面しています。びっくりするくらい拓けた感じの入口なのに、びっくりするくらいひっそりと周りの景色に溶け込んでいます。一応宮内庁の管轄で『天智天皇山科陵』と書いてはあるものの
ここへ来る目的を持って来なければただの公園のように見えて、完全にスルーしてしまう事でしょう。
入口すぐに掛けられた橋を渡り、ずっとまっすぐに続く参道。結構整備が行き届いています。季節によっては紅葉を巡る事も可能。
拝 所
参道を最奥まで進むと辿り着く拝所。
道中、木々に囲まれたトンネルの様な道を通り抜ける事となります。
交通量の多い三条通から少し離れた場所まで歩く事になるので、しん、と静まり返った正に聖域と言った雰囲気が漂います。
アクセス
- 住 所:〒607-8425 京都府京都市山科区御陵上御廟野町
- 駐車場:特になし。
京都市山科区三条通御陵駅より東へ15分程度。駐車場無し。
まとめ
今回はこれで以上です。
山科の駅前通りは今無印良品の新店舗がオープンし、かなりの賑わいを見せています。
ですが、地下鉄で一駅離れたこの場所は車通りは多くてしょっちゅう渋滞しているような場所ですが、長い参道を抜けた先は荘厳としたエリアが広がっています。
凛とした雰囲気の中、静かにお参り出来る穴場スポットです。