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平安京遷都の『桓武天皇柏原陵』

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今回は京都市にある古墳『桓武天皇陵』のご紹介です。
社会の教科書でかろうじて名前に触れる機会があるかな、どうかなという知名度の方ですが、掘り下げていくと面白い時代でもありますので、今回はそこら辺も含めて桓武天皇柏原陵に一礼。

古墳概要

この古墳があるのは京都市伏見区

この古墳があるのは京都市伏見区。ちょうど明治天皇陵の北隣に位置する古墳です。

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この辺りは全くの住宅街で、まさかこんなところに古墳が?なんてつゆ程も思わないような場所にあります。

古墳データ・アクセスなど

  • 正式名称:桓武天皇柏原陵
  • 被葬者 :桓武天皇(宮内庁治定)
  • 古墳形状:円丘
  • 住  所:〒612-0855 京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
  • 駐車場 :なし。

古墳の大きさなどの資料はなし。

桓武天皇について

平安遷都の天皇

桓武天皇の在位期間は在位期間781年4月30日 – 806年4月9日とこの頃になると在位期間の記録は割とはっきりと残っていいるようです。
784年の長岡京、794年の平安京と二度の遷都の際に在位していたというメモリアルな天皇で、そのご縁で平安神宮にもお祀りされています。

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早良親王の呪いの原因

以前御陵紹介の際、少し紹介しました早良親王が居た時代にもあたります。この時代、都中を最も震撼させた人物で、それは『早良親王』の呪いと呼ばれ恐れられました。

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当初皇太子とされていた早良親王を藤原種継暗殺の首謀者として廃太子の上流罪にします。無罪を訴えた早良親王は絶食で抗議、遂には逝去されてしまうという事件が発生しました。785年長岡京遷都のすぐ後でした。
その後、桓武天皇の周りでは不幸が相次ぎ、天災・疫病が流行り、これが早良親王の呪いと言われるようになりました。桓武天皇は色々と手を尽くすも不幸は収まらず、794年長岡京が不吉というお話になって、わずか10年で平安京に遷都することとなったということです。

『崇道天皇』という名前は即位していない早良親王に桓武天皇が死後送った名前です☆

古墳散策

参道

この陵墓の特徴はなんといってもこの長い参道。周りはすべからく住宅街なのに、そこから一本隔てるだけで住宅など一軒も無いかのように見えるちょっと不思議な場所。

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ずっと変わらない緩やかな坂を延々と登ることとなるので、前に進んでいないかのような錯覚にすら陥るところなんですが、振り返ってみるとやっぱりしっかり大分奥まで続いているのがよくわかります。

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ご拝所

参道を登りきった先にあるのがこのご拝所。

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形状は円丘とされていますが、木々に覆われていて見る限り形状どころか輪郭すらわかりません。

まとめ

今回はこれで以上です。
文中でも触れましたが、この古墳は入り口に差し掛かるまでは全く古墳があるようには見えませんが、その入口に一歩踏み入れた途端外界と隔たったように雰囲気が変わる不思議な場所です。平安京に居をおいた最初の天皇の御陵です、平安神宮ご参拝の際はこちらも。

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