『北畠氏』ってご存知でしょうか。
ルーツは鎌倉末期にも遡ります。
北畠親房が後醍醐天皇の『建武の新政』を支えその後南朝の中心人物となり南伊勢一帯を勢力下に収めていきます。
大河ドラマ初め時代劇では殆ど戦国や幕末(確かにドラマもヒーローも多い)ばかりですが、たまには応仁の乱や他の時代にも見どころはいっぱいあるので、折に触れるのも一興かと思います。さて、今回紹介するのはその北畠一門の礎となった 、北畠親房、顕家を合祀し、ご祭神とする神社がこの北畠神社です。
とりあえず今回も神社に一礼。
こちら神社といえど、境内自体はそんなに広くなくどちらか、北畠氏の主な拠点だった霧山城址へと続く登山口になっているようです。
登山口という通り、約560m、数字だけ聞けばそこまでの山でもないですが、道が整備されている訳でもない。
そもそも、この北畠神社にたどり着くまでに結構時間を食ってる上での話になる事から、もし山頂まで行こうという方は、くれぐれも時間に余裕を持ってお出かけくださいw
さて、そんな根性も体力もやる気もない僕は、境内を散策します。
やはり、こちらの神社はどちらか神社というより史跡としての性格が強いようです。とりあえず本殿にお参り。
上述の通り、ここは北畠神社であると同時に霧山城の麓にもあたるので、北畠氏ゆかりの史跡がたくさん。
北畠氏は室町以降、戦国時代初期までは隆盛し伊勢、志摩伊賀、大和の一部を版図に収める一大勢力になったものの最終的には織田家に実質的につぶされた大名の為、所縁のこの一帯ももう〇〇跡しか残っていない場所になってしまってますが、もし現存すれば結構な文化財になっていたんやろうな、と感じさせられるほど随所に案内が出ています。
これら、全てもうどこを指してるのかすらわかりませんw
こちらは北畠顕家(きたばたけあきいえ)公像。
享年21歳という若さながら、その戦績は正に無双かつ聡明。文武両道ってやつですね。
北条残党・尊氏討伐など武家と切り結ぶ武力と、 陸奥平定に見せる内政力、ご利益ははっきりした発信はないものの、さしずめ武芸上達・学力向上となるんだろうなと思いますw
祀られるご祭神はこの三名。
個人的にはどうしても戦国時代の北畠具教を推してしまいますがw
さて、境内の散策もあらかた終わったところで社務所へ御朱印を受領。
なかなかシンプルな御朱印でしたw
摂社、多芸神社にもお参り。
各写真の端々を見て何となくわかるかもですが、この神社居る事自体がとても気持ちのいいところです。
このお社から見渡すだけで
樹齢を3桁で数える事になりそうな木々に囲まれ昼間でも程よく日差しが遮られ、
あまり感じられる方でもないのですが、如何にもマイナスイオンたっぷり!!な神社です。ところで、この神社アプローチ方法としては伊賀から抜ける西からと、伊勢側からの東から来るルートがあるのですが、お勧めは断然西からのルートです。
東ルートは道が超狭いですw
まあ道のチョイス次第ですが。
ちょっとドライブに、自然に触れたい、都会の喧騒を忘れたい。。そんな時にお勧めの神社です。
- 住 所:〒515-3312 三重県津市美杉町上多気1148
- 駐車場:あり