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昔は将軍御用達のお宿、資料館『水口城址』

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今回は滋賀にある『水口城』のご紹介です。
正直、あんまり馴染みのある名前ではないかもしれないこのお城。いくさの為に築かれたというよりは、江戸時代に入ってから宿場町のとして扱われたという、位置づけ的にはどっちかと言うと豪華な旅館です。
では、今回はそんな水口城に一礼。

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お城概要

将軍家のお宿はお城

このお城、現在は資料館として開放されているんですが、あるのは滋賀県甲賀市。
この辺りは昔『水口藩』と言う藩が治めていたので、そこから名前が来ています。
城が築かれたのは1634年。関ケ原から30年経ち、江戸時代が本格的に回り始めた時代に徳川3代家光が築きました。

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当時江戸住まいの徳川家は京都へ上洛する際の街道を整備しました。その代表が東海道。『東海道五十三次』と言う名前の通り東海道には五十三の宿場町が整備され、この水口もそのひとつでした。水口を甚く気に入ったのか家光はここに自分用の宿館を築かせます、これが水口城です。

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宿といってもそこは将軍、建造には京都お抱えの大工が派遣され、当時は二条城を模した豪華絢爛な御殿が築かれたんだそうです。
とまあ、如何にも将軍家御用達のお城のように聞こえますが、実はこのお城使用されたのは一番初め、徳川家光上洛時の一度だけで以降一度も使われる事なく明治時代を迎え、廃城となったという何とも勿体感いっぱいのお城だったようです。

使われなくてもお城番は要る

こんな風に豪華に作られたものの、一度しか使われなかった勿体ない城『水口城』ですが、そこは将軍家。使わなくても管理人さんは置かれていました、それが『城番』、因みに管理人さんは番城と言うんだそうです。どっちがどっちかわからなくなりますね。
コンビニでいうところの直営店だったこの水口城は、1682年に移封されてきた加藤明友という大名が入城、この時、この地域は水口藩が置かれる事となりました、言うなればフランチャイズですね。

加藤家というのは藤原家をルーツに持つ名門家ですが、いくつかにお家が別れています。この加藤明友は羽柴VS柴田の『賤ケ岳の戦い』で、『賤ケ岳七本槍』に数えられた名武将『加藤嘉明』を祖父に持つ一族です。

直営時の番城もそうですが、水口藩主の加藤家は居城である水口城を『将軍家にお借りしているお城』として、その豪華な御殿は歴代藩主一人も使用しなかったんだそうです。将軍家も来ない、藩主も使わない、けど多分一生懸命手入れして綺麗に保たれたんだろうお城、昔ってこういうの多かったのかもしれません。

城内散策

城とは言っても役割はお宿、合戦の無い時代に作られた城なので防衛堅固な雰囲気はありませんが、お堀とか石垣とかは流石、多分落ちたら登っては来れないでしょう。

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城入口

城への入口は北側、今も立派に残る橋と御門がお出迎えしてくれます。

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城内部(博物館です。)

城は2階建てで、内部のみ有料。とは言っても大人100円、徴収する意味をあんまり感じないんですが、とりあえず無料ではありませんよ、程度のものなので気にせず入城してみましょう。

1階は城郭の再現図や

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甲冑など。博物館なので、城としては正直小さいですが展示物は中々見ごたえあり。

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2階は展望スペース

2階はどのように使われているのか不明ですが、『研修室』とされる南北2部屋が拡がっています。東側には、今は無き『水口岡山城』があった丘も見えます。

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アクセス

  • 住 所: 水口城址 〒528-0023 滋賀県甲賀市水口町本丸4−80 
  • 駐車場:あり

滋賀県甲賀市国道1号線『アルプラザ水口』西側道路を南へ。駐車場はわかりにくいですが北側にあります。

まとめ

今回はこれで以上です。
このお城には血みどろの名の知れた合戦や、名城主が居たなど言う逸話はありません。
ただ、整備された宿場町に将軍家御用達のお宿として造られたこのお城は魅せる城と言った感じが伝わってきます。これは昔もきっとそうだったのでしょう。
水口に限らず、この甲賀と言う町は言わずと知れた甲賀忍者の町でもあって、見どころも多いので、行った事がないという方は一度訪れてみてください。

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