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清寧天皇陵古墳(白髪山古墳)

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今回の舞台は大阪にある清寧天皇陵古墳。
第22代清寧天皇の陵墓として、世界遺産登録された『百舌鳥古市古墳群』を構成する一つに数えられる古墳の一つです。

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古墳概要

古墳があるのは大阪府羽曳野市

この古墳があるのは大阪府羽曳野市、百舌鳥古市古墳群の東部、羽曳野・藤井寺市にある古墳の一つ。応神天皇陵を始めとして大小様々な古墳が点在するという、まさに歩けば古墳に当たるというにふさわしい地域です。

古墳データ

この古墳に関するデータはこんな感じ。

  • 名 称:仁賢天皇皇埴生坂本陵(ボケ山古墳)
  • 形 状:前方後円墳
  • 墳丘長(縦):115
  • 墳丘長(横):128m(方墳部)
  • 墳丘高:11m(方墳部)
  • 建造時期:6世紀前半
  • 被葬者:西寧天皇(宮内庁治定)
  • 住 所:〒583-0861 大阪府羽曳野市西浦6丁目2

よく見る前方後円墳は方墳部の方が大きいけど、方墳と円墳がつながった形状から縦に長い形状が殆どなんですが、この古墳は横幅の方が長く、裾の広がったスカートのような形をしているのが独特な形状をしています。

清寧天皇

第22代に数えられる天皇で、第19代允恭天皇の系譜から連なる人物です。生来白髪だったことから父帝の雄略天皇から霊異を感じ皇太子に据えられたというエピソードがあります。

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『白髪山古墳』という名前はこの清寧天皇の白髪のエピソードから来ています☆

前帝の雄略天皇が崩御した後、星川稚宮皇子という異母兄弟が権力を独占しようとしたため、討伐後即位したとされています。
皇子に恵まれなかったためそれを気に病んでいたものの、かつて雄略天皇の皇位争いの際、都を追われ播磨に移り住んでいた億計王(後の仁賢天皇)・弘計王(後の顕宗天皇)の兄弟を宮中に迎え入れ安寧を得たとされています。崩御は41歳とされています。

古墳散策

拝礼所

拝礼所は西側の方墳中心に沿うように作られています。

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すぐ前には道路が通り、更にその裏に駐車場らしき場所がありますが、何の関係か不明ですがバリカーで塞がれていて、止めることはできません。

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周濠

大阪の古墳にありがちな『古墳周りは全部住宅街』ということはありません。

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なので、割と近くから壕を眺めて巡ることが可能、また東西が道路に直接面しているので道も整備されているので快適に巡ることができます。

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まとめ

今回はこれで以上です。
この辺りは歩いて巡れる間隔で古墳が点在しているので、どこかに拠点を決めて歩いて周るか、もしくは各所でレンタサイクルのサービスがあるので、まとめて周るのが便利です。

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