今回ご紹介するのは、玉造稲荷神社です。
大阪というのは、昔から商人の町と言われますが、その土台を築いたのはやっぱり大阪城の太閤さんこと豊臣秀吉でしょうか。豊臣秀吉が堺に商人を呼び集め、商業を発展させ、今日の活気ある大阪の土台を築きました。
一方で家臣達は大阪城の付近に武家屋敷を構えました、その付近の一つが玉造です。大阪環状線で見ても一駅。ビルと住宅と環状線と阪神高速に囲まれた中々にカオスな街、それが大阪城公園駅~鶴橋位(というか日本の都市部って大体こんなんかもしれませんが)で、そのど真ん中に建つのが玉造稲荷神社です。
では、今回はそんな都会のど真ん中にひっそりと建つ玉造稲荷神社に一礼。
本殿まで
JR大阪環状線玉造駅を降りて北西へ。ビルとビルがひしめく間に割り込んだような印象で建つのが稲荷神社の入口です。なぜ『玉造』の文字が急ごしらえで張りなおしたかのようになっていたのかは謎のままでした。
石段を登り鳥居をくぐると、途端に車の音は遮断されたように気にならなくなります。これはこの神社に限った事ではないですが、いつも不思議なものです。木々に囲まれた場所が多いせいなんでしょうけど、神秘的なものを感じざるを得ません。(例外もあるけど)
大きな神社ではありません、鳥居をくぐれば程なく拝殿へ到着。
多分拝殿奥とかに安置されているんでしょうけど、この神社『稲荷』と名が付く割にお稲荷さん感が全然しません。
境内散策
豊臣秀頼公像・胞衣塚大明神
この神社が秀頼公所縁の神社とされるのは近所やからってだけではありません。
胞衣とは出産時に子供と一緒に出てくる胎盤の事で、この神社の摂社『胞衣塚大明神』とは、秀頼公とその母の淀殿の胎盤が鎮められているんだとか。
また秀頼公殉死となった大坂夏の陣は1615年7月この地で開戦しました。数的に劣る豊臣方は善戦空しく敗北。秀頼の妻ながら秀忠の娘千姫はこの時戦禍を逃れ、家康に秀頼の除名嘆願を願い出たものの、聞き入れられず秀頼公と淀殿は大阪城落城と共に自害したと言われています。
その後、逝去後400年となった2015年秀頼公の慰霊祭が行われたそうです。
サントリー、森下仁丹など大阪を代表する企業や縁者など多数の参列者の元で執り行われたそうです。
新山稲荷神社・万慶稲荷神社
余りお稲荷感のないこの神社ですが、本殿脇に2社並んでました、神山稲荷神社(しんやまいなりじんじゃ)と、万慶稲荷神社(まんけいいなりじんじゃ)です。
玉作岡
神社の入口にある『玉作岡』の文字。これはここら辺の大昔の地名なんだそうです。
三種の神器の一つ『勾玉』造りの専門職(玉作部)がここら辺に居地を構えていた事に因んだ地名です。
利休井
豊臣家にゆかりの深い人物の一人に茶人千利休がいます。昔この辺りは玉造清水という名前がある位良い水が得られた地でもあり、当時生駒山系を臨みながら茶会が催されたりしたそうです。この井戸はそんな当時を偲ぶものとして平成18年に再掘されたものです。
御由緒・ご利益・御朱印
この神社の歴史は古く、創建は紀元前12年に遡ります。聖徳太子が物部氏との戦の際、戦勝祈願をされたともいわれている歴史深い神社です。
ご祭神は宇迦之御魂大神、ご利益は商売繁盛、子授け、縁結び。
御朱印です。大阪城守護の確固たる自負が伺えます。
アクセス
- 住 所:〒540-0004 大阪府大阪市中央区玉造2丁目3−8
- 駐車場:なし
電車の場合:JR玉造駅徒歩9分。車は混むしコインパーキングも結構高額。またこの一帯は、色々と観光資源にもめぐまれていますので、電車推奨。
まとめ
今回はこれで以上です。大阪観光と言うとどうしても梅田・難波に目がいきがちですが、大阪城の膝元と言うのもあって、観光スポットは結構いっぱいあります。
また大河ドラマで大ブレイクした真田丸はこの神社から少し南に下った辺りにあって、合わせて回ることも可能です。(ブレイク中は道を埋め尽くす位観光客が沸いていたそうですが、今は大分落ち着いています。) 豊臣所縁の地に触れてみたいという方は是非とも訪れてほしい一つです。