田村と聞いてまず思い浮かぶのは当然『坂上田村麻呂』でしょう、教科書でもお馴染みの征夷大将軍、実はこの方2代目なんです。
今回ご紹介するのは田村神社。かの有名な坂上田村麻呂をお祀りする神社で、正に聖域と呼ぶにふさわしい境内が広がる場所でした。では、今回も田村神社に一礼。
神社概要
神社があるのは土山宿跡のお向かい
この神社があるのは滋賀県甲賀市、甲賀忍者で有名なあの甲賀です。
国道一号線といってもこの辺りは耕作地の広がるのどかな一帯で、目印はすぐお向かいにある道の駅『あいの土山』。
昔、この辺りには土山宿という東海道五十三次の四十九番目のお宿があり、今でもその街並みが残されているいわゆる保存地区という観光でめぐるのに全く困ることがないだろう場所でもあります。
境内は正に水の神殿
鳥居を一歩潜り抜けた先は森。境内には静寂と木漏れ日の指す神秘的な空間が広がっています。田舎の割に結構交通量が多い前面道路の喧噪も中には届かず、聞こえてくるのは境内東を流れる『田村川』の水の音だけ。正に水の神殿の名にふさわしい神社といえます。
まあ『水の神殿』というのは僕が名付けたのでどこで検索してもHITすることはないと思いますが
当記事を読み終わるころにはきっと『田村神社=水の神殿』と呼びたくなっている事だと思います。
創建は垂仁天皇の時代から
この田村神社、そもそも興りは垂仁天皇の時代まで遡る事となります。垂仁天皇は第11代に数えられる天皇なので、その歴史の古さを感じて頂ける事と思います。天照大御神をお祀りする場所を探して伊勢神宮まで旅したことで知られる倭姫命の生霊をお祀りしたのがこの神社そもそもの興り。その後、平安時代に嵯峨天皇から鈴鹿峠に巣くう悪鬼討伐の勅命を受けた坂上田村麻呂、見事悪鬼を平定したのちに残りの矢を放ちこの矢が落ちたところに祠を立てて自分を祀りなさいと言い、その場所がこの神社のご本殿になったとされています。
ご祭神とご利益
ご祭神はこの神社に所縁ある
- 坂上田村麻呂
- 嵯峨天皇
- 倭姫命
の三柱。鈴鹿峠の悪鬼討伐によって道行く人の安全を守った神様として『交通安全』にご利益があるとされています。昔、大勢の人がこの神社の前を通って東海道を旅し、その無事を祈った由緒正しい神社といえます。
アクセス
住 所:〒528-0211 滋賀県甲賀市土山町北土山469
駐車場:あり
駐車場は境内敷地に十分設けられているので、安心してお参りに訪れることが出来ます。
境内散策
この神社の境内は森と水。どこを歩いても清廉な空気に包まれています。
ご拝殿
鳥居からまっすぐ、参道を進むと見えてくるのがこの拝殿です。
この神社、造りが少し変わっていて拝殿の脇から通路が伸び、そのまま社務所へとつながっています。
ご本殿はさらに進んだ最奥にお祀りされています。
禊場
本殿の更に左脇奥には禊場があります。
さすがに今は使われることも稀なのか、道はふさがれていて近づくことは出来ません。
この神社は紅葉でも有名な場所なので、秋以外に訪れても綺麗な青紅葉がお出迎えしてくれます。
餌やり場他
本殿手前は浮島のようになっているんですが、そこには魚影も確認できます。こちら、餌やりもできるようになっています。
水は本殿周りをぐるりと円を描くように引き込まれ、最終的に元の田村川へと還るように造られています。境内がいつも清らかな空気に包まれているのはこういった事情もあるんでしょう。
厄豆落とし
福豆といえば節分。鬼は外という掛け声とともに鬼(役)に豆を全力でぶつけるパワハライベント厄除け祈願であるほか
年の数だけ豆を食べるという習慣もあります。こちらでは食べる代わりに豆を川へと流すんだとか。
矢竹
坂上田村麻呂は鈴鹿峠の悪鬼討伐の後、自身が放った矢が刺さった場所に自分を祀るように言ったそうで、それが正にこの場所。
つまり、この神社境内で最も清められた場所と言い換えることも出来ます。
海道橋
境内東側には境内へ沿うように田村川が流れていて、その上にかけられた神社東側の玄関口にもあたります。
御朱印
御朱印は社務所にて頂けます。紅葉に鹿のイラストがかわいらしい。
まとめ
今回はこれで以上です。
この神社は境内、とりわけ本殿周りに『居る』ことで心が落ち着き、癒されるのを感じることが出来る場所です。バイク乗りの方を中心に知る人ぞ知る穴場パワースポットのようなので、近くを通られた際には一度お立ち寄り下さい。